WhiteWhip

足らぬ足らぬは毛が足らぬ日々。

名前の話題を見ると胸が痛む

自分の娘の名前をつけたときを振り返ると、「両親の字を一字充てたい」というのは何となく嫁さんにも私にもあった。どうやら女の子らしい、というのがわかったときに漢字一字はスンナリと決まった。

嫁さんといろいろ話をして、まず読みが決まった。じゃあ、嫁さんの名前の漢字以外の残りの漢字をどれにしようかと考えて、姓名判断だとどうなるかとか、これだと小学校の早い段階で覚えられて良いかもだとか、「笑顔」だとか「明るさ」だとか、娘がどう育って欲しいか、どんな人間であって欲しいか、ありとあらゆる角度から鑑みて「これだ!」という字を充てて、名前を付けた。理由ははっきりしている。

 

私が小学校の時に、自分の名前の由来を調べる、みたいな宿題があったのだけれど、もし娘が学校でそういう宿題を出されたら言うことは決まっている。

 

「ずっと、いつでも明るい、笑顔が似合う子でいてほしい」

だから、付けたよ。って。

 

 

今になって思うと、名前の付け方、付ける方法っていろいろあるもんなぁ、って。

 

読みが素敵だから、あとは画数で付けました。でも良いし。

字面がいいから、あとは読みを充てました、でも良いし。

「かなカナ漢字なんでもござれ」で「年々流行語が生まれてしまう土壌」の造語大国・日本ゆえに、いろんな名前が生まれちゃうんだけれど、結局アルファベットにしたらわかんねえな、で済む問題だしなぁ。

わかんねぇな、これ。

慣れかな、慣れ。